竹内政明『「編集手帳」の文章術』文春新書(2013年1月20日、第1刷)
2015年09月19日
竹内政明『「編集手帳」の文章術』文春新書(2013年1月20日、第1刷)
第1章 私の「文章十戒」
名文の定義は人によってさまざまでしょうが、<声に出して読んだときに呼吸が乱れない文章のこと>と私は理解しています。
「わが詩法」 堀口大學
言葉は浅く
意(こころ)は深く
-『水かがみ』(昭和出版)
井上ひさし 日本記者クラブの記者研修での記念色紙への揮毫
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと
吉野弘「祝婚歌」の一節
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
-『贈るうた』(花神社 所収)
第2章 構成、畏るべし
本を書きたがる人は増えているのに、読みたがる人が減っている。これは何に似ているだろう。同僚とカラオケに出かけたようなものだな・・・と、わが周辺を顧みて思いあたる。歌いたがる者ばかりで、聴きたがる者がいない。ととのいました。「活字離れ」とかけまして「カラオケ」と解きます。そのココロは-どちらも「あたしが、おれが」の時代です。
向田邦子『眠る盃』(講談社文庫)の冒頭の一行の書き写し
仕事が忙しい時ほど旅行に行きたくなる。(「小さな旅」)
手の美しい人である。(「余白の魅力 森繁久弥」)
人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがある。(「眠る盃」)
爪を噛む癖がある。(「噛み癖」)
死んだ父は筆まめな人であった。(「字のない葉書」)
いい年をして、いまだに宿題の夢を見る。(「父の風船」)
味醂干しと書くと泣きたくなる。(「味醂干し」)
生まれてはじめて縫った着物は、人形の着物である。(「人形の着物」)
一度だけだが、「正式」に痴漢に襲われたことがある。(「恩人」)
あるとき、ふと気づいたのですが、私が好むところの字数を要する言い回しには、偶然かどうか、「あまつさえ」「言えなくもない」「たとえていえば」「耳にする」等々、五音または七音が多いようです。
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。
-『吾輩は猫である』(岩波文庫)
夏目漱石の七五調を引き合いに出すまでもなく、リズムを感じ取る「耳」は文章を書く上で大切なものなのかも知れません。
第4章 耳で書く
ある日の「編集手帳」から、末尾の1行を抜き出してみます。『悲しい酒』の石本美由起さん。『高校三年生』の遠藤実さん。『津軽海峡・冬景色』の三木たかしさん・・・。昭和の歌謡史を彩った作詞家や作曲家が相次いで亡くなった頃でした。
昭和という時代を奏でた歌びとたちの、後ろ姿のメドレーはさみしい。
-「編集手帳」抜粋(2009年5月28日付)
東京・大手町の逓信総合博物館で、福井県丸岡町の主催する手紙文コンクールの秀作展「<日本一短い手紙>物語」を見た。過去十年間の応募のなかから、二百点余りの珠玉の作品を展示している。
青竹から涼しげに垂れた短冊に、文面が筆でしたためてある。
「<いのち>の終わりに三日下さい。母とひなかざり。貴男(あなた)と観覧車に。子供達に茶碗蒸しを」(五十一歳・女性)
読む者の胸に響く「物語」の、人は誰もが書き手であることを短冊の手紙が教えている。
-「編集手帳」抜粋(2003年7月5日付)
冷淡な態度・・・つれないそぶり
奇遇にも・・・・・・えにしの糸のいたずらに
一方通行の感情・・・届かぬ心の片便り
自業自得の泥沼・・・罪に身を灼き、焦がれて燃えて
顔は男の履歴書・・・男は背中に過去を彫る
歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます・・・。
NHKラジオ『にっぽんのメロディー』 中西龍アナウンサーの名調子
何度も繰り返し濾過して個性を取り除き、真水にする。真水にしたつもりでも、書き手特有の匂いはほのかに残る。それがほんとうの個性というものでしょう。
第5章 ここまで何かご質問は?
(高名な作詞家、藤田まさとが後輩の作詞家である星野哲郎さんに作詞の心構えについて語ったくだり)
詩はね、美辞麗句を格調高く並べ、百万人のために作ろうとしてもダメなんだ。百万人の中のたったひとりの悩み、悲しみ、訴えを書き得てはじめて百万人が耳を傾けてくれるし、泣いてくれるんだ。ひとりの兵士の心にわけ入って書いたからこそ百万の兵が『麦と兵隊』を歌ってくれたんだ。
-星野哲郎『歌、いとしきものよ』(集英社)
『源氏物語』で光源氏が言う。<さかさまに行かぬ年月よ>。時間は逆向きに流れてくれぬ、と。(2010年9月30日付)
第6章 引用の手品師と呼ばれて
「微風」(抜粋) 伊藤桂一
掌(て)にうける
早春の
陽ざしほどの生甲斐でも
ひとは生きられる
-三木卓・川口晴美編『風の詩集』(筑摩書房)
真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾(われ)に向ひて光る星あり
正岡子規
第7章 ノートから
気の利いた言い回しというのは、才能ある誰かがつくり、誰かが拝借し、それをまた誰かが真似することを繰り返すなかで、やがては日本文化の公共財になっていくものです。
至る処(ところ)きれいな水が瀬を立てて奔(はし)り
命とひきかえの孤高の作品
上に向かっての堕落
内側からにじみでるものにしか自らの足場を求めない
海辺の村で三夜を過ごした
遅れてきた者の特権にあぐらをかいて、高みから歴史を裁くことをの愚を承知の上で言うのだが
おびただしい「経験」という身銭を払って生きた
思いを他日に残すのも悪くない
逆境から出発し、激しい浮き沈みのなかで、壁に立てた爪から血を噴きながら這い上がってきた
巨大な独楽のような人物で、フル回転することによって静止を得ている
鏡のように磨かれた水溜まり
豪快さのなかに流れ星のような孤独を秘めている人
古賀メロディーがギターの弦に哀傷の旋律をのせて流れていた
気色(けしき)ばむ
口伝えの昔話であろう
こまやかな心寄せ
潮に焼けた肌と、さざえのような掌を持った漁師の老人は
時代の波を切る舳先のような、華やかな
順風満帆と波瀾万丈のあいだを振幅はげしく揺れ動いていた観がある
澄んだ水を通して深い底を見るような心地
政党政治の表街道と裏小路をこもごも歩いた四十年
壮烈を超えて酸鼻に近い
その動くところ必ず風雲を巻き起こして見せ場をつくった
想念の糸は尽きることがない
その頃は鏡もやさしかった
手織り木綿のような肌触り
-で過ごした年月は、彼の上に終生消えることのない刻印を残した
という言説が音量を増している
時を得た者には必ず冷水が浴びせられる
どのような死も、ひと時の沈黙に値する
-などの領域で余人の遠く及ばぬ仕事をした
深い川は静かに流れる
深々と緑の糸を垂れる下に
古き良き-の最後の残照を見る思いがする
まじりっ気なしの笑顔
未裁断の縁がついた手漉きの和紙
水の底にいるような青い月光の洪水のなかで
身と心を寄せ合って生きる
覚える。忘れる。忘れたけれども、身体のなかに何かが残る。自分で文章を書くとき、その残った何かが汗のように体内からにじみ出て、文章に艶なり、渋みなりを添える。それでいいと思います。
第1章 私の「文章十戒」
名文の定義は人によってさまざまでしょうが、<声に出して読んだときに呼吸が乱れない文章のこと>と私は理解しています。
「わが詩法」 堀口大學
言葉は浅く
意(こころ)は深く
-『水かがみ』(昭和出版)
井上ひさし 日本記者クラブの記者研修での記念色紙への揮毫
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと
吉野弘「祝婚歌」の一節
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
-『贈るうた』(花神社 所収)
第2章 構成、畏るべし
本を書きたがる人は増えているのに、読みたがる人が減っている。これは何に似ているだろう。同僚とカラオケに出かけたようなものだな・・・と、わが周辺を顧みて思いあたる。歌いたがる者ばかりで、聴きたがる者がいない。ととのいました。「活字離れ」とかけまして「カラオケ」と解きます。そのココロは-どちらも「あたしが、おれが」の時代です。
向田邦子『眠る盃』(講談社文庫)の冒頭の一行の書き写し
仕事が忙しい時ほど旅行に行きたくなる。(「小さな旅」)
手の美しい人である。(「余白の魅力 森繁久弥」)
人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがある。(「眠る盃」)
爪を噛む癖がある。(「噛み癖」)
死んだ父は筆まめな人であった。(「字のない葉書」)
いい年をして、いまだに宿題の夢を見る。(「父の風船」)
味醂干しと書くと泣きたくなる。(「味醂干し」)
生まれてはじめて縫った着物は、人形の着物である。(「人形の着物」)
一度だけだが、「正式」に痴漢に襲われたことがある。(「恩人」)
あるとき、ふと気づいたのですが、私が好むところの字数を要する言い回しには、偶然かどうか、「あまつさえ」「言えなくもない」「たとえていえば」「耳にする」等々、五音または七音が多いようです。
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。
-『吾輩は猫である』(岩波文庫)
夏目漱石の七五調を引き合いに出すまでもなく、リズムを感じ取る「耳」は文章を書く上で大切なものなのかも知れません。
第4章 耳で書く
ある日の「編集手帳」から、末尾の1行を抜き出してみます。『悲しい酒』の石本美由起さん。『高校三年生』の遠藤実さん。『津軽海峡・冬景色』の三木たかしさん・・・。昭和の歌謡史を彩った作詞家や作曲家が相次いで亡くなった頃でした。
昭和という時代を奏でた歌びとたちの、後ろ姿のメドレーはさみしい。
-「編集手帳」抜粋(2009年5月28日付)
東京・大手町の逓信総合博物館で、福井県丸岡町の主催する手紙文コンクールの秀作展「<日本一短い手紙>物語」を見た。過去十年間の応募のなかから、二百点余りの珠玉の作品を展示している。
青竹から涼しげに垂れた短冊に、文面が筆でしたためてある。
「<いのち>の終わりに三日下さい。母とひなかざり。貴男(あなた)と観覧車に。子供達に茶碗蒸しを」(五十一歳・女性)
読む者の胸に響く「物語」の、人は誰もが書き手であることを短冊の手紙が教えている。
-「編集手帳」抜粋(2003年7月5日付)
冷淡な態度・・・つれないそぶり
奇遇にも・・・・・・えにしの糸のいたずらに
一方通行の感情・・・届かぬ心の片便り
自業自得の泥沼・・・罪に身を灼き、焦がれて燃えて
顔は男の履歴書・・・男は背中に過去を彫る
歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます・・・。
NHKラジオ『にっぽんのメロディー』 中西龍アナウンサーの名調子
何度も繰り返し濾過して個性を取り除き、真水にする。真水にしたつもりでも、書き手特有の匂いはほのかに残る。それがほんとうの個性というものでしょう。
第5章 ここまで何かご質問は?
(高名な作詞家、藤田まさとが後輩の作詞家である星野哲郎さんに作詞の心構えについて語ったくだり)
詩はね、美辞麗句を格調高く並べ、百万人のために作ろうとしてもダメなんだ。百万人の中のたったひとりの悩み、悲しみ、訴えを書き得てはじめて百万人が耳を傾けてくれるし、泣いてくれるんだ。ひとりの兵士の心にわけ入って書いたからこそ百万の兵が『麦と兵隊』を歌ってくれたんだ。
-星野哲郎『歌、いとしきものよ』(集英社)
『源氏物語』で光源氏が言う。<さかさまに行かぬ年月よ>。時間は逆向きに流れてくれぬ、と。(2010年9月30日付)
第6章 引用の手品師と呼ばれて
「微風」(抜粋) 伊藤桂一
掌(て)にうける
早春の
陽ざしほどの生甲斐でも
ひとは生きられる
-三木卓・川口晴美編『風の詩集』(筑摩書房)
真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾(われ)に向ひて光る星あり
正岡子規
第7章 ノートから
気の利いた言い回しというのは、才能ある誰かがつくり、誰かが拝借し、それをまた誰かが真似することを繰り返すなかで、やがては日本文化の公共財になっていくものです。
至る処(ところ)きれいな水が瀬を立てて奔(はし)り
命とひきかえの孤高の作品
上に向かっての堕落
内側からにじみでるものにしか自らの足場を求めない
海辺の村で三夜を過ごした
遅れてきた者の特権にあぐらをかいて、高みから歴史を裁くことをの愚を承知の上で言うのだが
おびただしい「経験」という身銭を払って生きた
思いを他日に残すのも悪くない
逆境から出発し、激しい浮き沈みのなかで、壁に立てた爪から血を噴きながら這い上がってきた
巨大な独楽のような人物で、フル回転することによって静止を得ている
鏡のように磨かれた水溜まり
豪快さのなかに流れ星のような孤独を秘めている人
古賀メロディーがギターの弦に哀傷の旋律をのせて流れていた
気色(けしき)ばむ
口伝えの昔話であろう
こまやかな心寄せ
潮に焼けた肌と、さざえのような掌を持った漁師の老人は
時代の波を切る舳先のような、華やかな
順風満帆と波瀾万丈のあいだを振幅はげしく揺れ動いていた観がある
澄んだ水を通して深い底を見るような心地
政党政治の表街道と裏小路をこもごも歩いた四十年
壮烈を超えて酸鼻に近い
その動くところ必ず風雲を巻き起こして見せ場をつくった
想念の糸は尽きることがない
その頃は鏡もやさしかった
手織り木綿のような肌触り
-で過ごした年月は、彼の上に終生消えることのない刻印を残した
という言説が音量を増している
時を得た者には必ず冷水が浴びせられる
どのような死も、ひと時の沈黙に値する
-などの領域で余人の遠く及ばぬ仕事をした
深い川は静かに流れる
深々と緑の糸を垂れる下に
古き良き-の最後の残照を見る思いがする
まじりっ気なしの笑顔
未裁断の縁がついた手漉きの和紙
水の底にいるような青い月光の洪水のなかで
身と心を寄せ合って生きる
覚える。忘れる。忘れたけれども、身体のなかに何かが残る。自分で文章を書くとき、その残った何かが汗のように体内からにじみ出て、文章に艶なり、渋みなりを添える。それでいいと思います。
Posted by 圭一 at 16:43│Comments(0)