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こころの読書教室
2016年01月04日
河合隼雄『こころの読書教室』新潮文庫(平成26年2月1日発行)
「人間ていうのは、ほんとうに大事なことがわかるときは、絶対に大事なものを失わないと獲得できないのではないかと僕は思います」
これは、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)という本の中で、井戸の中にこもる男性がいるわけですが、「井戸」にこもる、つまり、心の底の扉を開いて、底へ入っていく。面白いですね、井戸はidに通じますね。イドはラテン語で、ドイツ語で言うと「エス」です。“それ”です。だから、「井戸を掘って、掘って」というのは、「無意識を掘って、掘って」“それ”の世界に入っていくのです。
だから、コミットメントというときに、「あ、この人、気の毒やからなんとかしてあげよう」とか、そういうのではなくて、自分の心の井戸を深く、深く、掘っていく。そうすると、つながるはずのないものがつながってくる。
上村春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』では、ふとある日、パッと奥さんがいなくなるんですね。これは現代という状況をピッタリ描いていて、すごいと思います。何か災害が起こってとか、何かのことがあってというのではなくて、「ふと気づいたら、もう魂は失われていた」というわけです。これは、まさに世界中の先進国人たちの状況ですね。魂を回復するというのが、どんなに難しいか。・・・
そうすると、失われた魂を回復するためにそうとうな努力がいるわけですが、そういう中で、ものすごく暴力的な世界にどうしても直面していかなければならない。それが現代です。現代の世相を見ていられたらわかると思いますが、いろいろなところで変な殺人が起こったり、ものすごい暴力事件が起こったりしているでしょう。人類は賢くなったと思っているのに、戦争したり、途方もない殺し合いをしなければいけなかったりしますね。だから、人間の心の中の、魂の領域に近づくということは、すごい暴風雨圏というか暴力の世界にも直面していかねばならないということです。『ねじまき鳥クロニクル』を読むと、それがすごくよくわかります。そういうふうな現代人の生活における魂というものを異性像を求めていく場合のむずかしさ、すごさ、それがよく書かれていると思います。
加藤典洋の解説
相手の話を聴くとき、意識の水準を下げる、と河合さんはいっている。意識の水準を上げると、頭が働き、自我が活躍するのだが、反対に、これを下げると、意識の明度が曇る代わりにいわば無意識がむずむずと動くようになる。部屋の明かりを低くすると、クライアントの暗がりに灯っている蝋燭と、話を聴く河合さんの内部の暗がりに灯っている蝋燭とだけが闇の中に残り、ほかのことは消えて、二本の蝋燭の炎が同じかすかな風に揺らぐ。共振する。
そこでは、語ることと語らないことは、ともに同じくらい大事なことである。
僕はボヤ―ッと聞いているのです。つまり、僕の心の扉をできるだけ開くように聞くんですね。
河合さんがいうのは、意識の水準を下げて「心の扉を開」き、“それ”に耳を澄ませるという、それとは違う、もう一つの心の働きである。
「人間ていうのは、ほんとうに大事なことがわかるときは、絶対に大事なものを失わないと獲得できないのではないかと僕は思います」
これは、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)という本の中で、井戸の中にこもる男性がいるわけですが、「井戸」にこもる、つまり、心の底の扉を開いて、底へ入っていく。面白いですね、井戸はidに通じますね。イドはラテン語で、ドイツ語で言うと「エス」です。“それ”です。だから、「井戸を掘って、掘って」というのは、「無意識を掘って、掘って」“それ”の世界に入っていくのです。
だから、コミットメントというときに、「あ、この人、気の毒やからなんとかしてあげよう」とか、そういうのではなくて、自分の心の井戸を深く、深く、掘っていく。そうすると、つながるはずのないものがつながってくる。
上村春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』では、ふとある日、パッと奥さんがいなくなるんですね。これは現代という状況をピッタリ描いていて、すごいと思います。何か災害が起こってとか、何かのことがあってというのではなくて、「ふと気づいたら、もう魂は失われていた」というわけです。これは、まさに世界中の先進国人たちの状況ですね。魂を回復するというのが、どんなに難しいか。・・・
そうすると、失われた魂を回復するためにそうとうな努力がいるわけですが、そういう中で、ものすごく暴力的な世界にどうしても直面していかなければならない。それが現代です。現代の世相を見ていられたらわかると思いますが、いろいろなところで変な殺人が起こったり、ものすごい暴力事件が起こったりしているでしょう。人類は賢くなったと思っているのに、戦争したり、途方もない殺し合いをしなければいけなかったりしますね。だから、人間の心の中の、魂の領域に近づくということは、すごい暴風雨圏というか暴力の世界にも直面していかねばならないということです。『ねじまき鳥クロニクル』を読むと、それがすごくよくわかります。そういうふうな現代人の生活における魂というものを異性像を求めていく場合のむずかしさ、すごさ、それがよく書かれていると思います。
加藤典洋の解説
相手の話を聴くとき、意識の水準を下げる、と河合さんはいっている。意識の水準を上げると、頭が働き、自我が活躍するのだが、反対に、これを下げると、意識の明度が曇る代わりにいわば無意識がむずむずと動くようになる。部屋の明かりを低くすると、クライアントの暗がりに灯っている蝋燭と、話を聴く河合さんの内部の暗がりに灯っている蝋燭とだけが闇の中に残り、ほかのことは消えて、二本の蝋燭の炎が同じかすかな風に揺らぐ。共振する。
そこでは、語ることと語らないことは、ともに同じくらい大事なことである。
僕はボヤ―ッと聞いているのです。つまり、僕の心の扉をできるだけ開くように聞くんですね。
河合さんがいうのは、意識の水準を下げて「心の扉を開」き、“それ”に耳を澄ませるという、それとは違う、もう一つの心の働きである。
Posted by 圭一 at
18:20
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村上春樹、河合隼雄に会いにいく
2016年01月04日
河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫(平成27年6月10日27刷、平成11年1月1日初版)
・・・真珠湾だろうがノモンハンだろうが、いろんなそういうものは自分のなかにあるんだ、ということがだんだんわかってくるのですよね。
それと同時に、いまの日本の社会が、戦争が終わって、いろいろつくり直されても、本質的には何も変わっていない、ということに気がついてくる。それがぼくが『ねじまき鳥クロニクル』のなかで、ノモンハンを書きたかったひとつの理由でもあるのです。自分とは何かということをさかのぼっていくと、社会と歴史ということ全体の洗い直しに行き着かざるをえない。
僕はむしろ、自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします。物語を書いている過程で、そのようなメッセージが暗闇の中からふっと浮かび上がってくる―もっともそれも多くの場合、よくわけのわからない暗号で書かれているわけですが。
ただ、ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』に関して感ずるのは、何がどういう意味を持っているのかということが、自分でもまったくわからないということなのです。これまで書いてきたどの小説にもまして、わからない。
村上 ・・・ただいちばん困るのは、ぼくが一人の読者としてテキストを読んで意見を発表すると、それが作者の意見としてとらえられることなんですね。
河合 作者の言っているのがいちばん正しいと、思う人がいるということですね。そんなばかなことはないのですよ。
河合 ・・・現実にはおもしろい偶然はそうそう起こらない、という前提の上に現代の小説が書かれているとすると、それはみんなSFなのです。ぼくに言わせれば。近代小説にはほんとのリアリティーなんか書いてなくて、あれは空想科学小説みたいなものです。科学に縛られて、つまり、因果的に説明可能なことしか起こってはならないとか、そんなばかなことはないんです。実際にぼくが遭遇している現実では偶然ということが多いんですよ。
村上 でも僕は小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的なしんどさ(あるいはつたない個人的営為)にあると思うのです。それを保っている限り、小説は力を失わないのではあるまいか。
・・・
だいたい、巨大な妄想を抱えただけの一人の貧しい青年が(あるいは少女が)、徒手空拳で世界に向かって誠実に叫ぼうとするとき、それをそのまま―もちろん彼・彼女が幸運出あればと言うことですが―受け入れてくれるような媒体は、小説以外にそれほどたくさんはないはずです。
相対的に力を失ってきているのは、文学という既成のメディア認識によって成立していきた産業体質と、それに寄り掛かって生きてきた人々に過ぎないのではないかと、僕は思います。フィクションは決して力を失ってはいない。何かを叫びたい人にとっては、むしろ道は大きく広がっているのではないでしょうか。
現代の一般的風潮は、村上さんの書かれたこととのまったく逆で、「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産」を目ざして動いています。そして、この傾向が人間のたましいに傷をつけ、その癒やしを求めている人たちに対して、われわれは一般的風潮のまったく逆のことをするのに意義を見出すことになるのです。
・・・真珠湾だろうがノモンハンだろうが、いろんなそういうものは自分のなかにあるんだ、ということがだんだんわかってくるのですよね。
それと同時に、いまの日本の社会が、戦争が終わって、いろいろつくり直されても、本質的には何も変わっていない、ということに気がついてくる。それがぼくが『ねじまき鳥クロニクル』のなかで、ノモンハンを書きたかったひとつの理由でもあるのです。自分とは何かということをさかのぼっていくと、社会と歴史ということ全体の洗い直しに行き着かざるをえない。
僕はむしろ、自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします。物語を書いている過程で、そのようなメッセージが暗闇の中からふっと浮かび上がってくる―もっともそれも多くの場合、よくわけのわからない暗号で書かれているわけですが。
ただ、ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』に関して感ずるのは、何がどういう意味を持っているのかということが、自分でもまったくわからないということなのです。これまで書いてきたどの小説にもまして、わからない。
村上 ・・・ただいちばん困るのは、ぼくが一人の読者としてテキストを読んで意見を発表すると、それが作者の意見としてとらえられることなんですね。
河合 作者の言っているのがいちばん正しいと、思う人がいるということですね。そんなばかなことはないのですよ。
河合 ・・・現実にはおもしろい偶然はそうそう起こらない、という前提の上に現代の小説が書かれているとすると、それはみんなSFなのです。ぼくに言わせれば。近代小説にはほんとのリアリティーなんか書いてなくて、あれは空想科学小説みたいなものです。科学に縛られて、つまり、因果的に説明可能なことしか起こってはならないとか、そんなばかなことはないんです。実際にぼくが遭遇している現実では偶然ということが多いんですよ。
村上 でも僕は小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的なしんどさ(あるいはつたない個人的営為)にあると思うのです。それを保っている限り、小説は力を失わないのではあるまいか。
・・・
だいたい、巨大な妄想を抱えただけの一人の貧しい青年が(あるいは少女が)、徒手空拳で世界に向かって誠実に叫ぼうとするとき、それをそのまま―もちろん彼・彼女が幸運出あればと言うことですが―受け入れてくれるような媒体は、小説以外にそれほどたくさんはないはずです。
相対的に力を失ってきているのは、文学という既成のメディア認識によって成立していきた産業体質と、それに寄り掛かって生きてきた人々に過ぎないのではないかと、僕は思います。フィクションは決して力を失ってはいない。何かを叫びたい人にとっては、むしろ道は大きく広がっているのではないでしょうか。
現代の一般的風潮は、村上さんの書かれたこととのまったく逆で、「できるだけ、早い対応、多い情報の獲得、大量生産」を目ざして動いています。そして、この傾向が人間のたましいに傷をつけ、その癒やしを求めている人たちに対して、われわれは一般的風潮のまったく逆のことをするのに意義を見出すことになるのです。
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1月4日の記事
2016年01月04日
加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』岩波新書(2015年12月18日第1刷)
今、暇を見つけて村上春樹を読んでいるので、すぐ飛びついた新書である。村上春樹が小説を通じて何を伝えたいのか、日本の文壇の中での位置づけなどについて著者の考え方が書いてあった。
村上が世の中に知られるようになったのは、1979~1980年。この時の文壇の評価が書いてあり、非常に面白い。村上春樹の作品は村上龍の衝撃的な作品『限りなく透明に近いブルー』の陰に隠れてしまった「より小ぶりの台風」だったと書いてある。ただ最初の作品『風の歌を聴け』は79年度の群像新人文学賞を受賞しており、この才能を見つけたのは誰だったか気になっていた。この本では丸谷才一と吉行淳之介が強く推したという。この作品の芥川賞の選評では大江健三郎や遠藤周作などから、「アメリカ小説をたくみに模倣した小説」「ところどころ薄くて」「反小説の小説」、小説から「すべての意味を取り去る現在流行の手法」「本当にそんなに簡単に意味をとっていいのか」などと批評されている。根深い批判者の急先鋒が大江健三郎、柄谷行人、蓮実重彦など反文壇的な戦後文学者やポストモダン期の批評家たちだったとされている。しかし、村上が世界有数の人気小説家になると、国内での否定論はなりを潜めてしまったと書いてあるところも記憶に残るところである。
この本ではなぜ小ぶりの台風に価値があったかについて分析してある。村上春樹の作品は「肯定的なことを肯定する」内容という。つまり、これまで近代的な理想を旨とする現実への否定の力が後発の近代国家の創世記以降の文学を動かしてきたが、村上春樹はこのような方法を否定する小説を書いている。時代も70年代の終わりのころは、無自覚に否定を否定する、単に肯定的な気分が社会的に支配的になっており、純文学の世界は一般社会から徐々に「古めかしい」もの、「暗いもの」として忌避されるようになっていた。社会がゆたかになると「うまい!」「やりたい!」「うれしい!」という新しい欲望の肯定が、従前の音楽、文学を打ち倒し、勝利し、人々を魅了するようになるとも書いてあった。
最初の『風の歌を聴け』の英訳の原タイトルは、“What’s So Bad About Feeling Good?”、「気分が良くて何が悪い」と表現されている。「気分が良いことを否定しない」でどんな純文学的な小説が書かれうるか?「欲望」を否定することなく、どのように新しい―またそういいたければ真摯な―文学を作り上げるかが問題となってきつつある中で村上春樹が登場してきたことになる。
『風の歌を聴け』から5年後、84年に村上龍は一点、こう書く。サザンオールスターズの桑田佳祐が証明したのは簡単にいえば「否定性」などなくてもよい音楽を作れるということだ。・・・サザンが「日本で初めて現れたポップバンド」であることの意味だ。「ポップスはずっと日本に存在しなかった」。なぜか。日本がこれまでずうっと「貧乏だったからだ」。
「喉が乾いた、ビールを飲む、うまい!」
「横に女がいる、きれいだ、やりたい!」
「すてきなワンピース、買った、うれしい!」
それらのシンプルなことがポップスの本質である。そしてポップスは、人間の苦悩とか思想よりも、つまり「生きる目的は?」とか「私は誰?ここはどこ?」よりも、大切な感覚について表現されるものだ。
だから、ポップスは強い。ポップスは売れる。すべての表現はポップスとなっていくだろう。
社会の主流はあの村上龍の「うまい!」「やりたい!」「うれしい!」の欲望の全行程に行く。しかしそのうちの少数派は違う道、それへの抵抗の道を辿る。70年代初頭の若者の反乱の時期の終熄をへて、以後世の中がいわば近代型の正義、反逆、モラルへの失効と空転ぶりに「しらけ」、拡散し、やがて「ポップの勝利」へと収斂していくなかで、いわば少数の悲哀派はもう信奉し依拠する原理がないままに、それでもとにかく世間への同調を拒み、その一点に踏みとどまることで、独自の道を進むのである。
それが、村上に初期をすぎて「デタッチメント」という態度が摑まれるようになる経緯でもある。
村上はひとまず、社会と戦う後退戦のなかで、世間に同調することを拒み、社会とのあいだに距離を置くこと(デタッチメント)に、自分の足場を見出す。
しかし、この消極的な姿勢は、いまや否定性の「塩」のきかないポストモダンの時代における彼の精いっぱいの抵抗の姿でもある。
つまり村上春樹は近代の終り、ポストモダンの時代の到来を生きた、最初のアジアの小説家の一人なのである。
父は亡くなり、その記憶も―それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに―消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです。
『ねじまき鳥クロニクル』が描くモンゴルの殺戮の場面、中国心境の「動物園襲撃」は、いまや絵空事であることによって、逆に新しい現在の「記憶」された歴史の「生々しい」現実性に迫っている。そう見るほうが、正しいのではないか。現実のもつ現実性が時の経過のなかでリアルな意味をすり減らしてしまう。そういうばあい、その現実性は、いまやフィクションを通じてしか、リアルな意味を回復できないのである。
ひたすら訊く、そして記録する。冗長、反復は、聞き手の都合から生じることで、話す人にとってははじめてだということを肝に銘じ、一心に謙虚に耳を傾ける。
今、暇を見つけて村上春樹を読んでいるので、すぐ飛びついた新書である。村上春樹が小説を通じて何を伝えたいのか、日本の文壇の中での位置づけなどについて著者の考え方が書いてあった。
村上が世の中に知られるようになったのは、1979~1980年。この時の文壇の評価が書いてあり、非常に面白い。村上春樹の作品は村上龍の衝撃的な作品『限りなく透明に近いブルー』の陰に隠れてしまった「より小ぶりの台風」だったと書いてある。ただ最初の作品『風の歌を聴け』は79年度の群像新人文学賞を受賞しており、この才能を見つけたのは誰だったか気になっていた。この本では丸谷才一と吉行淳之介が強く推したという。この作品の芥川賞の選評では大江健三郎や遠藤周作などから、「アメリカ小説をたくみに模倣した小説」「ところどころ薄くて」「反小説の小説」、小説から「すべての意味を取り去る現在流行の手法」「本当にそんなに簡単に意味をとっていいのか」などと批評されている。根深い批判者の急先鋒が大江健三郎、柄谷行人、蓮実重彦など反文壇的な戦後文学者やポストモダン期の批評家たちだったとされている。しかし、村上が世界有数の人気小説家になると、国内での否定論はなりを潜めてしまったと書いてあるところも記憶に残るところである。
この本ではなぜ小ぶりの台風に価値があったかについて分析してある。村上春樹の作品は「肯定的なことを肯定する」内容という。つまり、これまで近代的な理想を旨とする現実への否定の力が後発の近代国家の創世記以降の文学を動かしてきたが、村上春樹はこのような方法を否定する小説を書いている。時代も70年代の終わりのころは、無自覚に否定を否定する、単に肯定的な気分が社会的に支配的になっており、純文学の世界は一般社会から徐々に「古めかしい」もの、「暗いもの」として忌避されるようになっていた。社会がゆたかになると「うまい!」「やりたい!」「うれしい!」という新しい欲望の肯定が、従前の音楽、文学を打ち倒し、勝利し、人々を魅了するようになるとも書いてあった。
最初の『風の歌を聴け』の英訳の原タイトルは、“What’s So Bad About Feeling Good?”、「気分が良くて何が悪い」と表現されている。「気分が良いことを否定しない」でどんな純文学的な小説が書かれうるか?「欲望」を否定することなく、どのように新しい―またそういいたければ真摯な―文学を作り上げるかが問題となってきつつある中で村上春樹が登場してきたことになる。
『風の歌を聴け』から5年後、84年に村上龍は一点、こう書く。サザンオールスターズの桑田佳祐が証明したのは簡単にいえば「否定性」などなくてもよい音楽を作れるということだ。・・・サザンが「日本で初めて現れたポップバンド」であることの意味だ。「ポップスはずっと日本に存在しなかった」。なぜか。日本がこれまでずうっと「貧乏だったからだ」。
「喉が乾いた、ビールを飲む、うまい!」
「横に女がいる、きれいだ、やりたい!」
「すてきなワンピース、買った、うれしい!」
それらのシンプルなことがポップスの本質である。そしてポップスは、人間の苦悩とか思想よりも、つまり「生きる目的は?」とか「私は誰?ここはどこ?」よりも、大切な感覚について表現されるものだ。
だから、ポップスは強い。ポップスは売れる。すべての表現はポップスとなっていくだろう。
社会の主流はあの村上龍の「うまい!」「やりたい!」「うれしい!」の欲望の全行程に行く。しかしそのうちの少数派は違う道、それへの抵抗の道を辿る。70年代初頭の若者の反乱の時期の終熄をへて、以後世の中がいわば近代型の正義、反逆、モラルへの失効と空転ぶりに「しらけ」、拡散し、やがて「ポップの勝利」へと収斂していくなかで、いわば少数の悲哀派はもう信奉し依拠する原理がないままに、それでもとにかく世間への同調を拒み、その一点に踏みとどまることで、独自の道を進むのである。
それが、村上に初期をすぎて「デタッチメント」という態度が摑まれるようになる経緯でもある。
村上はひとまず、社会と戦う後退戦のなかで、世間に同調することを拒み、社会とのあいだに距離を置くこと(デタッチメント)に、自分の足場を見出す。
しかし、この消極的な姿勢は、いまや否定性の「塩」のきかないポストモダンの時代における彼の精いっぱいの抵抗の姿でもある。
つまり村上春樹は近代の終り、ポストモダンの時代の到来を生きた、最初のアジアの小説家の一人なのである。
父は亡くなり、その記憶も―それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに―消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです。
『ねじまき鳥クロニクル』が描くモンゴルの殺戮の場面、中国心境の「動物園襲撃」は、いまや絵空事であることによって、逆に新しい現在の「記憶」された歴史の「生々しい」現実性に迫っている。そう見るほうが、正しいのではないか。現実のもつ現実性が時の経過のなかでリアルな意味をすり減らしてしまう。そういうばあい、その現実性は、いまやフィクションを通じてしか、リアルな意味を回復できないのである。
ひたすら訊く、そして記録する。冗長、反復は、聞き手の都合から生じることで、話す人にとってははじめてだということを肝に銘じ、一心に謙虚に耳を傾ける。
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竹内政明『「編集手帳」の文章術』文春新書(2013年1月20日、第1刷)
2015年09月19日
竹内政明『「編集手帳」の文章術』文春新書(2013年1月20日、第1刷)
第1章 私の「文章十戒」
名文の定義は人によってさまざまでしょうが、<声に出して読んだときに呼吸が乱れない文章のこと>と私は理解しています。
「わが詩法」 堀口大學
言葉は浅く
意(こころ)は深く
-『水かがみ』(昭和出版)
井上ひさし 日本記者クラブの記者研修での記念色紙への揮毫
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと
吉野弘「祝婚歌」の一節
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
-『贈るうた』(花神社 所収)
第2章 構成、畏るべし
本を書きたがる人は増えているのに、読みたがる人が減っている。これは何に似ているだろう。同僚とカラオケに出かけたようなものだな・・・と、わが周辺を顧みて思いあたる。歌いたがる者ばかりで、聴きたがる者がいない。ととのいました。「活字離れ」とかけまして「カラオケ」と解きます。そのココロは-どちらも「あたしが、おれが」の時代です。
向田邦子『眠る盃』(講談社文庫)の冒頭の一行の書き写し
仕事が忙しい時ほど旅行に行きたくなる。(「小さな旅」)
手の美しい人である。(「余白の魅力 森繁久弥」)
人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがある。(「眠る盃」)
爪を噛む癖がある。(「噛み癖」)
死んだ父は筆まめな人であった。(「字のない葉書」)
いい年をして、いまだに宿題の夢を見る。(「父の風船」)
味醂干しと書くと泣きたくなる。(「味醂干し」)
生まれてはじめて縫った着物は、人形の着物である。(「人形の着物」)
一度だけだが、「正式」に痴漢に襲われたことがある。(「恩人」)
あるとき、ふと気づいたのですが、私が好むところの字数を要する言い回しには、偶然かどうか、「あまつさえ」「言えなくもない」「たとえていえば」「耳にする」等々、五音または七音が多いようです。
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。
-『吾輩は猫である』(岩波文庫)
夏目漱石の七五調を引き合いに出すまでもなく、リズムを感じ取る「耳」は文章を書く上で大切なものなのかも知れません。
第4章 耳で書く
ある日の「編集手帳」から、末尾の1行を抜き出してみます。『悲しい酒』の石本美由起さん。『高校三年生』の遠藤実さん。『津軽海峡・冬景色』の三木たかしさん・・・。昭和の歌謡史を彩った作詞家や作曲家が相次いで亡くなった頃でした。
昭和という時代を奏でた歌びとたちの、後ろ姿のメドレーはさみしい。
-「編集手帳」抜粋(2009年5月28日付)
東京・大手町の逓信総合博物館で、福井県丸岡町の主催する手紙文コンクールの秀作展「<日本一短い手紙>物語」を見た。過去十年間の応募のなかから、二百点余りの珠玉の作品を展示している。
青竹から涼しげに垂れた短冊に、文面が筆でしたためてある。
「<いのち>の終わりに三日下さい。母とひなかざり。貴男(あなた)と観覧車に。子供達に茶碗蒸しを」(五十一歳・女性)
読む者の胸に響く「物語」の、人は誰もが書き手であることを短冊の手紙が教えている。
-「編集手帳」抜粋(2003年7月5日付)
冷淡な態度・・・つれないそぶり
奇遇にも・・・・・・えにしの糸のいたずらに
一方通行の感情・・・届かぬ心の片便り
自業自得の泥沼・・・罪に身を灼き、焦がれて燃えて
顔は男の履歴書・・・男は背中に過去を彫る
歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます・・・。
NHKラジオ『にっぽんのメロディー』 中西龍アナウンサーの名調子
何度も繰り返し濾過して個性を取り除き、真水にする。真水にしたつもりでも、書き手特有の匂いはほのかに残る。それがほんとうの個性というものでしょう。
第5章 ここまで何かご質問は?
(高名な作詞家、藤田まさとが後輩の作詞家である星野哲郎さんに作詞の心構えについて語ったくだり)
詩はね、美辞麗句を格調高く並べ、百万人のために作ろうとしてもダメなんだ。百万人の中のたったひとりの悩み、悲しみ、訴えを書き得てはじめて百万人が耳を傾けてくれるし、泣いてくれるんだ。ひとりの兵士の心にわけ入って書いたからこそ百万の兵が『麦と兵隊』を歌ってくれたんだ。
-星野哲郎『歌、いとしきものよ』(集英社)
『源氏物語』で光源氏が言う。<さかさまに行かぬ年月よ>。時間は逆向きに流れてくれぬ、と。(2010年9月30日付)
第6章 引用の手品師と呼ばれて
「微風」(抜粋) 伊藤桂一
掌(て)にうける
早春の
陽ざしほどの生甲斐でも
ひとは生きられる
-三木卓・川口晴美編『風の詩集』(筑摩書房)
真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾(われ)に向ひて光る星あり
正岡子規
第7章 ノートから
気の利いた言い回しというのは、才能ある誰かがつくり、誰かが拝借し、それをまた誰かが真似することを繰り返すなかで、やがては日本文化の公共財になっていくものです。
至る処(ところ)きれいな水が瀬を立てて奔(はし)り
命とひきかえの孤高の作品
上に向かっての堕落
内側からにじみでるものにしか自らの足場を求めない
海辺の村で三夜を過ごした
遅れてきた者の特権にあぐらをかいて、高みから歴史を裁くことをの愚を承知の上で言うのだが
おびただしい「経験」という身銭を払って生きた
思いを他日に残すのも悪くない
逆境から出発し、激しい浮き沈みのなかで、壁に立てた爪から血を噴きながら這い上がってきた
巨大な独楽のような人物で、フル回転することによって静止を得ている
鏡のように磨かれた水溜まり
豪快さのなかに流れ星のような孤独を秘めている人
古賀メロディーがギターの弦に哀傷の旋律をのせて流れていた
気色(けしき)ばむ
口伝えの昔話であろう
こまやかな心寄せ
潮に焼けた肌と、さざえのような掌を持った漁師の老人は
時代の波を切る舳先のような、華やかな
順風満帆と波瀾万丈のあいだを振幅はげしく揺れ動いていた観がある
澄んだ水を通して深い底を見るような心地
政党政治の表街道と裏小路をこもごも歩いた四十年
壮烈を超えて酸鼻に近い
その動くところ必ず風雲を巻き起こして見せ場をつくった
想念の糸は尽きることがない
その頃は鏡もやさしかった
手織り木綿のような肌触り
-で過ごした年月は、彼の上に終生消えることのない刻印を残した
という言説が音量を増している
時を得た者には必ず冷水が浴びせられる
どのような死も、ひと時の沈黙に値する
-などの領域で余人の遠く及ばぬ仕事をした
深い川は静かに流れる
深々と緑の糸を垂れる下に
古き良き-の最後の残照を見る思いがする
まじりっ気なしの笑顔
未裁断の縁がついた手漉きの和紙
水の底にいるような青い月光の洪水のなかで
身と心を寄せ合って生きる
覚える。忘れる。忘れたけれども、身体のなかに何かが残る。自分で文章を書くとき、その残った何かが汗のように体内からにじみ出て、文章に艶なり、渋みなりを添える。それでいいと思います。
第1章 私の「文章十戒」
名文の定義は人によってさまざまでしょうが、<声に出して読んだときに呼吸が乱れない文章のこと>と私は理解しています。
「わが詩法」 堀口大學
言葉は浅く
意(こころ)は深く
-『水かがみ』(昭和出版)
井上ひさし 日本記者クラブの記者研修での記念色紙への揮毫
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに
書くこと
吉野弘「祝婚歌」の一節
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
-『贈るうた』(花神社 所収)
第2章 構成、畏るべし
本を書きたがる人は増えているのに、読みたがる人が減っている。これは何に似ているだろう。同僚とカラオケに出かけたようなものだな・・・と、わが周辺を顧みて思いあたる。歌いたがる者ばかりで、聴きたがる者がいない。ととのいました。「活字離れ」とかけまして「カラオケ」と解きます。そのココロは-どちらも「あたしが、おれが」の時代です。
向田邦子『眠る盃』(講談社文庫)の冒頭の一行の書き写し
仕事が忙しい時ほど旅行に行きたくなる。(「小さな旅」)
手の美しい人である。(「余白の魅力 森繁久弥」)
人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがある。(「眠る盃」)
爪を噛む癖がある。(「噛み癖」)
死んだ父は筆まめな人であった。(「字のない葉書」)
いい年をして、いまだに宿題の夢を見る。(「父の風船」)
味醂干しと書くと泣きたくなる。(「味醂干し」)
生まれてはじめて縫った着物は、人形の着物である。(「人形の着物」)
一度だけだが、「正式」に痴漢に襲われたことがある。(「恩人」)
あるとき、ふと気づいたのですが、私が好むところの字数を要する言い回しには、偶然かどうか、「あまつさえ」「言えなくもない」「たとえていえば」「耳にする」等々、五音または七音が多いようです。
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。
-『吾輩は猫である』(岩波文庫)
夏目漱石の七五調を引き合いに出すまでもなく、リズムを感じ取る「耳」は文章を書く上で大切なものなのかも知れません。
第4章 耳で書く
ある日の「編集手帳」から、末尾の1行を抜き出してみます。『悲しい酒』の石本美由起さん。『高校三年生』の遠藤実さん。『津軽海峡・冬景色』の三木たかしさん・・・。昭和の歌謡史を彩った作詞家や作曲家が相次いで亡くなった頃でした。
昭和という時代を奏でた歌びとたちの、後ろ姿のメドレーはさみしい。
-「編集手帳」抜粋(2009年5月28日付)
東京・大手町の逓信総合博物館で、福井県丸岡町の主催する手紙文コンクールの秀作展「<日本一短い手紙>物語」を見た。過去十年間の応募のなかから、二百点余りの珠玉の作品を展示している。
青竹から涼しげに垂れた短冊に、文面が筆でしたためてある。
「<いのち>の終わりに三日下さい。母とひなかざり。貴男(あなた)と観覧車に。子供達に茶碗蒸しを」(五十一歳・女性)
読む者の胸に響く「物語」の、人は誰もが書き手であることを短冊の手紙が教えている。
-「編集手帳」抜粋(2003年7月5日付)
冷淡な態度・・・つれないそぶり
奇遇にも・・・・・・えにしの糸のいたずらに
一方通行の感情・・・届かぬ心の片便り
自業自得の泥沼・・・罪に身を灼き、焦がれて燃えて
顔は男の履歴書・・・男は背中に過去を彫る
歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます・・・。
NHKラジオ『にっぽんのメロディー』 中西龍アナウンサーの名調子
何度も繰り返し濾過して個性を取り除き、真水にする。真水にしたつもりでも、書き手特有の匂いはほのかに残る。それがほんとうの個性というものでしょう。
第5章 ここまで何かご質問は?
(高名な作詞家、藤田まさとが後輩の作詞家である星野哲郎さんに作詞の心構えについて語ったくだり)
詩はね、美辞麗句を格調高く並べ、百万人のために作ろうとしてもダメなんだ。百万人の中のたったひとりの悩み、悲しみ、訴えを書き得てはじめて百万人が耳を傾けてくれるし、泣いてくれるんだ。ひとりの兵士の心にわけ入って書いたからこそ百万の兵が『麦と兵隊』を歌ってくれたんだ。
-星野哲郎『歌、いとしきものよ』(集英社)
『源氏物語』で光源氏が言う。<さかさまに行かぬ年月よ>。時間は逆向きに流れてくれぬ、と。(2010年9月30日付)
第6章 引用の手品師と呼ばれて
「微風」(抜粋) 伊藤桂一
掌(て)にうける
早春の
陽ざしほどの生甲斐でも
ひとは生きられる
-三木卓・川口晴美編『風の詩集』(筑摩書房)
真砂(まさご)なす数なき星のその中に吾(われ)に向ひて光る星あり
正岡子規
第7章 ノートから
気の利いた言い回しというのは、才能ある誰かがつくり、誰かが拝借し、それをまた誰かが真似することを繰り返すなかで、やがては日本文化の公共財になっていくものです。
至る処(ところ)きれいな水が瀬を立てて奔(はし)り
命とひきかえの孤高の作品
上に向かっての堕落
内側からにじみでるものにしか自らの足場を求めない
海辺の村で三夜を過ごした
遅れてきた者の特権にあぐらをかいて、高みから歴史を裁くことをの愚を承知の上で言うのだが
おびただしい「経験」という身銭を払って生きた
思いを他日に残すのも悪くない
逆境から出発し、激しい浮き沈みのなかで、壁に立てた爪から血を噴きながら這い上がってきた
巨大な独楽のような人物で、フル回転することによって静止を得ている
鏡のように磨かれた水溜まり
豪快さのなかに流れ星のような孤独を秘めている人
古賀メロディーがギターの弦に哀傷の旋律をのせて流れていた
気色(けしき)ばむ
口伝えの昔話であろう
こまやかな心寄せ
潮に焼けた肌と、さざえのような掌を持った漁師の老人は
時代の波を切る舳先のような、華やかな
順風満帆と波瀾万丈のあいだを振幅はげしく揺れ動いていた観がある
澄んだ水を通して深い底を見るような心地
政党政治の表街道と裏小路をこもごも歩いた四十年
壮烈を超えて酸鼻に近い
その動くところ必ず風雲を巻き起こして見せ場をつくった
想念の糸は尽きることがない
その頃は鏡もやさしかった
手織り木綿のような肌触り
-で過ごした年月は、彼の上に終生消えることのない刻印を残した
という言説が音量を増している
時を得た者には必ず冷水が浴びせられる
どのような死も、ひと時の沈黙に値する
-などの領域で余人の遠く及ばぬ仕事をした
深い川は静かに流れる
深々と緑の糸を垂れる下に
古き良き-の最後の残照を見る思いがする
まじりっ気なしの笑顔
未裁断の縁がついた手漉きの和紙
水の底にいるような青い月光の洪水のなかで
身と心を寄せ合って生きる
覚える。忘れる。忘れたけれども、身体のなかに何かが残る。自分で文章を書くとき、その残った何かが汗のように体内からにじみ出て、文章に艶なり、渋みなりを添える。それでいいと思います。
Posted by 圭一 at
16:43
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『感覚・感情とロボット』読後メモ1
2015年08月22日
「第1部 感覚と感情」メモ
1万円近くした古本。およそ10年前の知識と成果をまとめたものだが、買っただけの価値がありそうだ。
まだ100頁程度しか読んでいないが、その中でもどうしてもメモしておきたいことを以下に記す。
「2 20世紀から21世紀へ:その変遷 2.2 思想、哲学
この時期にDonald Schonが、経営、設計、医療の分野では、構造化された知では対応できないとして、Thinking in Action(行動しながら考える)、reflective practiceの考え方を提唱した事実も興味深い*。Schonは、80年代になり、社会が大きく変化する状況を見て、それまでの知識を構造化し、それを基礎に問題を解決する帰納-演繹の方法では対応できない問題が急激に増大してきた事実に注目してこの方法を提唱した。
*Donald A. Schon,“The Refrective Practitioner”,Basic Books,1983
・・・すなわち、それまでの方法が、周囲環境の変化が少なかったために、線形の一方向処理であったのを、フィードバックをいかに活用するかが、行動しながら考えるという思想である。実際、上で述べたように、昔の人は、地図などを見て、行き方を頭に入れてから目的地に出発した。しかし、今の人は、携帯電話を持って即飛び出していく。途中で分からないことがあれば、携帯電話で聞きながら目的地に向かう。すなわち、今は「歩きながら考える」時代である。歩きながら考えるとは、周辺環境とinteractionをしながら、その対応に必要な情報を収集して、行動することである。」
日本機械学会編『感覚・感情とロボット 人と機械のインタラクションへの挑戦』工業調査会(2008年11月10日初版第1刷)
1万円近くした古本。およそ10年前の知識と成果をまとめたものだが、買っただけの価値がありそうだ。
まだ100頁程度しか読んでいないが、その中でもどうしてもメモしておきたいことを以下に記す。
「2 20世紀から21世紀へ:その変遷 2.2 思想、哲学
この時期にDonald Schonが、経営、設計、医療の分野では、構造化された知では対応できないとして、Thinking in Action(行動しながら考える)、reflective practiceの考え方を提唱した事実も興味深い*。Schonは、80年代になり、社会が大きく変化する状況を見て、それまでの知識を構造化し、それを基礎に問題を解決する帰納-演繹の方法では対応できない問題が急激に増大してきた事実に注目してこの方法を提唱した。
*Donald A. Schon,“The Refrective Practitioner”,Basic Books,1983
・・・すなわち、それまでの方法が、周囲環境の変化が少なかったために、線形の一方向処理であったのを、フィードバックをいかに活用するかが、行動しながら考えるという思想である。実際、上で述べたように、昔の人は、地図などを見て、行き方を頭に入れてから目的地に出発した。しかし、今の人は、携帯電話を持って即飛び出していく。途中で分からないことがあれば、携帯電話で聞きながら目的地に向かう。すなわち、今は「歩きながら考える」時代である。歩きながら考えるとは、周辺環境とinteractionをしながら、その対応に必要な情報を収集して、行動することである。」
日本機械学会編『感覚・感情とロボット 人と機械のインタラクションへの挑戦』工業調査会(2008年11月10日初版第1刷)
Posted by 圭一 at
18:19
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